足利のストレッチ屋さん 心も体もやわらかく

ストレッチや人との繋がり、コミュニケーションなどの記事を書いています☆

見えない答えを探すのがめんどう? ~デジタル利用により、人の心(思考)もデジタル化に進んでる?~

前回の記事に、問題をそのまま真に受け、本当の原因を探り・解決しなければならないと書きましたが、これは便利さを得た代わりの代償が出てきているのではないかと感じています。

 

AIの発展により、今はとても便利な生活を送ることができています。いちいち外に出かけずともパソコンやスマホのボタンを押せば、どこからでも商品が届く世界。とっても便利で僕もよく利用しています。近所に売っていない商品も買えることは、自分の生活を充実させてくれますからね☆

 

ただ立ち止まって考えなくてはいけないことは、この便利さに「何も考えずに乗っかってしまう」こと。

需要と供給のやり取りの効率化が進み、「人を介さない」状態が当たり前になってきていること。

購入時の人と人とのコミュニケーションが無くなってきているということ。

 

いわゆる「簡単」だから利用する。人を介すと煩わしさがあるからめんどう…必要ないめんどうは極力避けたい。

最近はこう考えている人が多いのでなないでしょうか?大半の人の普通の考えではないでしょうか。

だが、この「普通」が心(思考)もデジタル化が進んできているのではないかと感じています。

 

僕としては、この「効率化」をどうにか使いこなしてもらいたい。

人は一人では生きていけないし、一人では何もできない生き物。人から生きる術を教わり、その術をまた次世代に引き継いでいく。そして伝統が生まれる。

伝統というと表現が飛躍しすぎかもしれないが、人は「人と関わる生き物」である。

もっと本質的なことをぶち込むと、効率化を図り人を介さないことは、人の生き方に反してしまうのではないか?

 

別に仕事(経済)の効率化を否定しているわけではない。ただ、その社会の流れに、当たり前のように「何も考えずに乗っかってしまう」ことが問題だと言うこと。

効率化を図ればいらない部分に出くわすこともない。出くわすこともなければその経験をすることもない。経験することもなければそれは無いのと同じ。その経験が無いがために、いざその場面に出くわすと人は迷って悩んでしまう。

悩みを解消しようと考えるが、ここで心(思考)のデジタル化の代償が現れ始める…。

 

普段から、第三者と関りを持たない人からすれば、人と話すことなんてめんどう…。ましてや悩みごとを相談なんてもってのほかだ。その人の頭の中を見ると、「悩みごとの解消」+「人と話すことがめんどうだなぁ…」というように、やることが一つ増えてしまう。

しかも、デジタルは“0”か“1”かの表現なので、簡単に言うと、解決「した」か「しない」かの二択になる。でも、人の心のというのは、そんな二択で解決できる程簡潔にできている訳ではいないので、それに当てはまらなければ「自分は人と違うダメな人間なんかなぁ…」などと考え始める。そして、どんどん自分の中から抜け出せなくなり、心が病んでいく。

 

人の心というのは“0”か“1”で判断するのではなく、「0.5」とか「0.8」といった小さな変化で生きている。どちらかというとアナログなのかもしれない。人によって「0.1歩でも踏み出せれば成功!」と言ってくれる人もいる。この考えに僕も賛成している。

その過程がとっても大事だから。

 

デジタル時計で例えると…デジタル時計が12:00から12:01に変わる間に、人の心は12:00:01…02…03と秒針で少しずつ刻んでいくイメージ。そこに見えない時間がある。だけど、そこにはしっかりと存在している。この時間を感じて欲しい…。

アナログの考え方ができる機会を効率化が奪っているというわけだ。

だが、どちらの進み方もしっかり時間を刻んでいるため、どちらが正しくてどちらが悪いということではない。

要は、使い分けが必要。心の在り方くらいはアナログでいきたい。

 

 

デジタル化の代償はすでに現れています。不登校の子が増えてきている。親のDV。離婚問題。禁止事項が多い公園など。

これらはコミュニケーションの熟練度が低いことから起こる事例ではないかと考えています。

人の心に余裕(余白)を持ち、一人ひとりが相手を受け入れる準備ができていれば、今より満たされた社会になるのではないでしょうか。

 

 

人はみな、その力を持っています。